旅を応援してくださっている方、
楽しみにして下さっている方々。
いつもありがとうございます!!
今朝早くにテントの中で目が覚める。
昨日、一ヶ月半を過ごした浪漫村Nijinosを旅立ったのだ。
外では隣のテントでも起きて動き始めたアンドレスの
ガサゴソという物音が聞こえた。
お互いに「 Good morning!」そう言って声を掛け合った。
そのアンドレスとは、
僕が日本一周中に出会うのはこれで4度目だ。
彼とのはじめての出会いは、
2年ほど前。
この旅に出て間もない9日目ほどの事だっただろうか。
兵庫県から西へ出発し岡山県を快調に走らせていた。
少し疲れて立ち止まっていた所へ、
突然背後から英語で声をかけられた。
それがアンドレスだった。
多少つたない英語を話せたのでその場で立ち話ししていると、
彼が「今夜一緒にキャンプをしよう」と誘ってきた。
そうしてそれから一晩共に岡山の田舎のにある公園で
酒を飲みキャンプをした。
とても新鮮で自分にとって宝物の思い出となった一夜で
僕たちにとって旅の中での最高の一夜となった。
翌日起きた時にはすでに意気投合し、
お互いに別れの気配が見えることはない。
彼は英会話の教師の仕事に就くために四国の高知県を目指していて、
僕も四国を一周するために向かっているところだった。
それから5日間ほど彼と共に
四国までの道程を行動することとなった。
しまなみ海道を超えて四国の愛媛県に入り彼は高知県へ。
僕は88箇所のお遍路をしながら四国を一周するために
香川県方面へと進むべくそこで一度別れることとなった。
二度目にアンドレスと再会したのは彼が働いて暮らし始めた高知県。
彼は小中高、様々な学校での派遣英会教師として仕事に就いていた。
アンドレスの住む家に1週間ほど世話になり、
彼がこの地に来てから出来た友達などと毎晩酒を飲み明かし
僕たちの絆は更に深いものとなっていた。
以前別れた時と同様に「またいつかどこかで会おう。」
そう言い合って再び僕は旅路に戻る。
それから僕は、彼とは必ずどこかで会うだろう。
不思議とそう思い込んでいたのだった。
3度目の再会は九州だった。
彼は学校が夏休みで仕事が無い期間を利用して
九州まで自転車旅に来ていた。
お互いに連絡を取り合い、
どうにか会えないものかと試行錯誤を繰り返していたが
彼の仕事のスケジュール的に時間が無いと一度再会を断念した。
かのように見えた。
その翌日。
僕は念のため滞在していた熊本の天草にある
友達の家の位置を示す地図をメールで彼に送信しておいた。
そうすると彼は佐賀県に居て、
距離にすると150kmほどの距離にいることが判明した。
150kmと言えば彼の自転車の装備なら
1日中走り抜けば辿り着く事が出来る距離だ。
それで彼もこちらへ来る気になり、
まさかの3度目の再会となったのだ。
熊本の友達一家も彼を受け入れてくれ、
2泊ほど天草で過ごすことになり、
その時もまた再び出会えた喜びに酒を酌み交わし
随分と飲んだものだ。
あれから2年が経った。
彼からの連絡は何かことある度に寄こしてきた。
ハロウィンが来たら「Happy Helloween!」
クリスマスには「Merry Xmas!」
年明けには「A Happy New Eyer!!」バレンタインには…。
とにかく。
アンドレスはことあるごとに連絡をくれた。
そんなことが2年続いた。
つい先日。
彼が高知での仕事を辞めて
再び度に出ているとの連絡が寄せられた。
「行き先は沖縄から北海道までの日本縦断。
そしてもう青森とすぐ近くに迫っている」と。
僕はすかさず「滞在しているNijinos村へ来てくれ」と返信。
そうして今回。
四度目の再会となったのだった。
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アンドレスはビザが6月9日に切れる日が迫っており、
2年半滞在したこの日本を去らなければならないらしい。
そして最後の日本での自転車旅となる日本縦断なのだ。
日本滞在残すはあと一週間。
目的地は日本最北端の地、稚内市。
僕が人生で初めてヒッチハイクでの旅に出て目指した地。
あれから12年が経った。
こうして再びあの地を目指し、
そして心からの友と呼べるアンドレスと共にあの地を目指すことは、
16歳のあの頃の僕には想像すらならなかった。
僕は当初の予定であったNijinos村からの南下を変更し、
是非とも彼の日本縦断を見届けるために行動を共にすることにした。
今朝起きて再び僕たちは宗谷岬を目指して北へと向かった。
宗谷岬までの距離は240km。
僕の自転車は装備がとても重く、
最大でも1日60km前後進めばいい方。
順調に行けば4日間で到達することが出来る。
今日は内陸の北竜町から沿岸にある留萌市方面を目指す。
山間部を合間縫って走る国道を進んでいると
僕の自転車のフロントブレーキのパットが割れて
その場で修理しなければならなくなった。
予備のブレーキパットを取り出し、
久しぶりの交換に悪戦苦闘していた。
アンドレスと僕は「あーでもない。こーでもない」といいながら、
自転車の前輪に鼻を突かせんばかりに覗き込み、
修理に専念していた。
その時だった。
「あの…。」
二人して振り向くとそこには
ママチャリに跨がった青年が立っていた。
彼の名はたいすけ。
齢は20歳で高校を卒業し大学にも行かなく、
就職先も決まっていない為に人生で初めて放浪を決意し、
地元茨城から飛び出してきたそうだ。
彼の装備を見ると、
ママチャリの前かごに野球部員が肩から下げていそうな
エナメルバックひとつに、
1mほどの丸い形に折りたたまれた簡易テントを
首からマントの様に後ろにぶら下げ、
後方ろから見ると「河童」の様に見えなくもない。
若く初めてだらけの経験であろうたいすけ。
僕は彼が今まで生きてきた中で
見たこともないほどに絡まったモジャモジャ頭。
そいつが乗っている自転車は見たことがないほどに大荷物。
相棒のアンドレスは日本語を少ししか話せない外国人。
そんなこともあって
こんな僕達に声を掛けたはいいものの、
どうして接したらいいものかオドオドしていた様子だった。
僕達は気にすることなく
「おぉー旅人かい?!どこから来た?」とか
「何日目だとか、見た目が若いけどいくつだ??」と
次々に質問しては、
「20っさい?!若いな~!!とかなんとか言って
アンドレスと目を合わせて笑いながら話を続けた。
修理の最中だったので
ある程度話を聞くと修理しながら彼らと話を続けた。
僕達の様子を見てたいすけも少しは緊張がほぐれたようで、
彼が気になる事を色々質問してきた。
「この自転車には何が入っているんですか?どこから来ました?
いつからしてるんですか?何でこんな事をしているんですか?」
僕は修理をしながらこう答える。
「この自転車には何でも入っているよ。
調理器具。調味料から寝るのに必要なキャンプ用品とか。
どんな環境でも生活が出来る。」
「出身は神戸からで期間は2年かけてここまで来たね。
もちろん、1年中ずっとじゃなくって冬は働いたりしながらね。
この前の冬はニセコのスキー場で働いていたかな。」
「なんでこんな事しているかって?
俺はこれを、旅を仕事に、生活にしようと思っているんよ。
世界の各国を一周づつする。
日本一周を終えたら次は違う国を一周。
国を一周終えるごとにその国を周って経験した物語を
本にして行くんさ。それが、俺の夢。」
そんな話を20歳の彼にすると、
たいすけは目が点になってそれ以降、
小声で「すごいっすね…。」としか言わなくなった。
想像を絶する言葉の数々に、
理解する事が頭の中で付いてきていなく、
オーバーヒート寸然かのように見えた。
ウブウブしくて可愛い奴だったから
今夜どこまで行くのか尋ねた。
進行方向は彼も目指すは北。
宗谷岬。
じゃあ、今夜俺たちとキャンプしないか?
そう尋ねると、「え、いいんですか?!」
そう言って驚き、喜んでいるようにも見えた。
「じゃあ、それで決まりだな。
もう少しで修理が終わるからちょっと待ってて。」
こうして仲間を一人増やし3人で行動することとなった。
そこから2、3時間自転車を走らせて留萌市へ。
アンドレスとの予定では留萌から先には店が無いので、
ここで今夜の食料を調達する予定だった。
たいすけの軽装な装備では、
おそらく調理器具は持ち合わせていないだろう。
彼に念のため聞いたがやはり持ち合わせていなく
、買食い、外食生活で朝はカップラーメンだけだったと言う。
「そうか、じゃあ今夜俺たちが
栄養満点の手料理を作ってやるから晩飯は俺たちに任せな。」
そうして3人分の食材を買い込んだ。
それから久々に見る海へ出た。
海が見えるとみんな思い思いに
「海だー!」とか「 Yhea-!」だとか叫ぶ。
たいすけは相変わらず「すごいっすねー。」だ。
夕方頃になると僕は、
自転車旅再開が間もなお二日目で足の筋肉が付いて来なく、
夕方にはもうヘトヘトで二人から大分と引き離され
彼らの後方をえっちらおっちら顔を濁らせて走った。
目的地の道の駅1kmと迫ったが、あと少しなのに
立ち止まって休憩したいほど疲れ切っていた。
”そんな事ではこれからの道程は乗り越えられまい”と
自分に言い聞かせ、
なんとかキャンプ予定地の道の駅に到着したのだった。
到着すると道の駅の店内はガラス張りで全ての場所が見渡せた。
その店内に大きな荷物を地面に下ろし
ベンチに座っている男が見える。
カバン近くに置いてあった
ホワイトボードのような小さな看板らしきに物に
一部分だけ書いてある文字確認することが出来た。
『日本』と書いてあるのが見えた。
おそらく。
そのあとの文字は一周か縦断だろう。
上がった息を整えてその彼の元へと3人で向かった。
「その看板は?!」
その彼は「その荷物は!!」と元気よく堂々と言った。
自転車は辺りに置いていないので、
歩きかヒッチハイカーだろう。
聞くと基本的に歩きで旅をする
『徒歩ダー』と呼ばれる部類の旅人だった。
「おおーそれはすごい!!歩きなんてすげーなぁリスペクト!」
そう言って両手を広げると
彼は躊躇することなく僕のハグを受け入れた。
彼の名は小田 里空(おだ りく)と名乗った。
「じゃあ、りくだな!」そう言うと、
「いや、オダリクと呼んでくれ。」
そう言って謎に名前の呼び方にこだわりを見せた。
何はともあれ旅人4人が集結し、僕たちは大盛り上がり。
時刻も夕方でオダリクもここでキャンプするとの事で
僕を含め合計4人でキャンプすることとなった。
夕飯もみんなで役割分担し作り、
アンドレスが1kmほど離れたコンビニで買ってきてくれたみんなへの
振る舞いビールを飲みながらここには書ききれないほどの話を
絶え間なく続けた。
オダリクは年齢も絶対に言わないと云う
これまた謎のこだわりを見せ年齢不詳。
何度聞いても答えない。
熊本出身の13か月ほど前から旅を始めた猛者だ。
彼の色んなか数々の経験談を聞くと、
こいつもまた面白いヤツで笑えるのなんのって。
夕飯を終えてオダリクが浜辺で焚き火をしようと言い出し、
火を起こしてくれた。
まだ寒さが残る北海道では夜間に外気温は
10度以下まで下がるのだ。
最近では最低6度まで下がる日もあり、
夜はとても厳しい環境。
焚き火を囲みまた1、2時間話し込んだ。
たいすけは猛者共の話を聞くことしか出来ない程の、
圧倒的な経験談の数々にただひたすら耳を傾けていた。
もう、「すごいっすね」すら言えない状況で
完全に放心状態。
彼からの話しは一つもなかった。
夜も更け、
僕は焚き火をしている浜辺にパソコンを持ってきて
この文章を書き始めた。
一人、また一人とお休みの挨拶をして、
あいつらはそれぞれ寝床について行った。
最後にたいすけが僕の所に寄ってきた。
「あの…今日は、本当にありがとうございました!
あの…それで…。」
そう言った時には
僕は不思議と彼が何を言いたいのか全てを悟った。
それと共に返す言葉まで決めていた。
けれども、
たいすけの口から「すごいっすね」以外の言葉が聞きたくて
そのままそのあとの言葉を待った。
「あの…これから、僕も宗谷岬までついて行っていいですか?」
はは。やっぱり。
「もちろん。俺たちは自由だ。お前が来たいなら来い。
来たくないならそれはそれでいい。それがだいすけの道だからな。」
「はい!ありがとうございます!
じゃあ、これれからよろしくお願いします!!」
「こちらこそよろしくなたいすけ。」
「じゃあ、今日はこれで寝ます。あ、明日は何時に起きます??」
「はは。それは起きた時だな。俺らは自由だ。
明日だって明後日だってある。起きた時が起きる時。だ。」
「わかりました!」そう言うとたいすけも寝床に就いた。
たいすけを見ていると16歳だった頃の自分を思い出す。
俺もあんなだった時期もあったっけなぁ…。
そんな事を考えながら
焚き火にくべる流木を拾い、海を見て、星を眺めた。
僕は彼に、
僕が今までに学んできた事を
出来るだけ全て伝えたいと思う。
もっと胸を張ってどっしりした男に鍛えてやろう。
俺だってこうしてくれた人達が沢山沢山居たんだ。
今度は俺がそうしてやる番だ。
そんな12年前、
16歳だった頃の僕が通ったであろう道の上で
ふと。思った夜だった。
もう書き始めて2時間半ほど経っただろうか。
夜中の2時半頃だ。
気温もさらに冷え込み焚き火に当たっていても少し震えが来る。
そろそろ僕も寝床に就くとしよう。
この物書きを辞めて、
もうちょっと薪を拾って、
焚き火に当たり、
考え事も辞めて、
海の音を静かに聞き、
星を眺めてから…。
俺たちは自由なんだから。