6月9〜10日(398〜399日目)

6月9日『On the Amanohashidate』(398日目)

昨晩もテントを張らずに
寝袋だけでの野宿だった。
IMG_3851−5℃まで耐えられる寝袋に入れば
寒さは全く感じない。

お気に入りの新しく手に入れたテントを
雨で濡らせてしまうことは気が進まない。
濡れてもいいが、翌日晴れていなければ乾かないまま
ジトジトの濡れたのテントを畳まなければならない。

梅雨の時期はいつ晴れるかわからないので
なるべく荷物を濡らさない事が肝心だ。

こう云った事が原因でカビが生えたり
テントが生乾き臭くなってしまう事もある。

これも去年に経験し学んだこと。
日々、旅の生活を快適なものとする勉強を
続けるまでだ。

朝食を手際よく下準備を始めた。

まずは、飯盒で米を炊く。
米を炊いている間に他の料理を作る。

ジャガイモを火が通りやすいように細切りにし、
細川さんに頂いた新玉を
縦の繊維に合わせて縦に薄切りにして
水に漬けておいた。

繊維に添わなければ
野菜の繊維が壊れて辛味が増す。
痛めたりする際も
シャキシャキした食感を出すためには
この切り方をするのが普通。

新玉なので、辛味を取るために
水につける必要はあまりないが
いつもの普通の玉ねぎを扱う癖で、水に浸した。
IMG_3854新玉は水を切ってごま油と塩コショウ
シーチキンを和えるだけで新玉サラダが完成。
IMG_3856

これは昔、実家で母親が作ったものを食べ
美味しいと思い、母親に作り方を教わった。
上鶴家の母の味だ。

中学一年の頃から母子家庭となり
母親は男兄弟3人の育ち盛りを食べさせるために
朝も昼も夜も働いてくれていた。

せめても負担を減らせる様にと
料理を進んで覚えていた記憶が思い出される。

次の料理も簡単に。
ジャガイモはバターと塩コショウで炒める。
形こそ違うがジャガバターの完成。
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このジャガバターは旅中によく作る。
芋は腹持ちが良いし、シンプルにうまい。

ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ
この3つは日持ちするので
よく持ち歩いている。

ジャガイモについては
必ずなくなれば買い足すほどの
常時備えている食材だ。

腐らないし、
って言うか、育ってるし?!

これほどまでに生命力のある野菜は
パワーの源になるのかもしれない。
ニンニクやショウガも
スタミナ食品として常に持ち歩き、
野菜炒めや肉炒めに使用することが多い。

朝食を終えると
飯盒に残っているご飯でおにぎりを作る。
IMG_3858ご飯は、30分以上も調理時間が必要なので
一度に3食分を必ず炊き上げる。

おかずも多めに作って、
もう1食分を食べられる量を作り溜めする。
昼の弁当にしているのが毎日のサイクルだ。

ガスの節約にもなる。

食器類は必要以上に持ち歩いている。
IMG_3861一人ではこんなに使わないのだが
いつ、何が起きるかわからないこの生活では、
出会った方などに料理を振る舞う事の場合を
想定して多めに持ち歩いている。

共に旅をすることになった
アメリカ人チャリダーのアンドレーとの旅でも
この食器が重宝した。

のちに、この3日後。
この食器は大活躍することとなる。

アンドレーからは今でもしょっちゅう連絡が入る。
一ヶ月に2〜3回は連絡が来るんではないだろうか。
逆にこちらからも
彼に報告したいことがあれば、
連絡するようにしている。

主に、
お互い元気に楽しくやっている写真を送り合って、
いいね、最高じゃん!!とお互い言い合っているだけだが。
(写真 ↓Andresから普段、届く写真↓)
IMG_4075 IMG_4076 IMG_4077 IMG_4078 IMG_4079 IMG_4080

今年の夏休みは
どこかへ旅に出る予定はあるのかと
先日聞いたところ、自転車で九州の福岡まで行って
船に乗り、韓国を旅するのだそうだ。

ちなみに彼の自転車は僕と同じメーカー。
カナダ製のSURLY。

その中でもOrgaと云う車種だ。
この軍色のカラーは
2年前のモデルにしかない。

今年の夏はアンドレーと再開できそうにないが、
必ず彼とは、また。
いつかどこかで会うだろう。

そして一緒に旅をする。

あいつもそう思っているだろう。

料理に使う食器は多いが
マトリョーシカの様に、
重ねて一番大きな鍋に収納することができる。
IMG_3862IMG_3863これだけで2〜3kgほどの重たさで
まぁまぁ重たい。

梅雨の時期らしい
どんよりとした鉛色の空の下で
出発することにした。
IMG_3866

今日から新しい挑戦を。
そう思い、ツイッターキャストを使って
生放送配信を試みた。

たまに気ままに配信しています。
twitterアカウント
xtsurux@

ツイキャス・VIEWERのアプリを
ダウウロードすれば、
誰でも簡単に視聴することが出来ます。

過去の配信も録画で観れるようになっています。
是非、フォロー宜しくお願いします。

IMG_3875

この日は、黙々と前に進んだ。

豊岡から進路はいよいよ東へと
目的地方面に進路を変える。

ここからは知らない景色が続く
未知なる未体験ゾーンへの突入だ。

丹後半島へはこの自転車では過酷を極めると判断。
内陸に進路をとった。

今日の目的地は天橋立。
先ほどの話にも出たアンドレーも
そこを訪れたことがあるらしい。

山道の上り坂を下っていると
森の中に鉄の残骸が
捨ててあるように置いてあった。
IMG_3865息を上げながら坂を登る。

ん?
ちょっと待てよ…?!

なんだか気になって二度見して
その物を確かめてみた。

IMG_3864

自然と体の動きが止まった。

おいおいおい…あれって…

』捕獲するやつじゃねーの??!

昨晩の公園で出会った女子三人組の
有吉みたいな毒舌女が
言っていた事が頭によぎった。

「私、この前さー。山道運転してたら、
溝に黒いモニョモニョ動いてるのが居てね、
よく見たら熊だったの。」

兵庫県の北側に熊がいる事は、
南側に住んでいる自分にとっては
全く知らない情報だった。

僕が一番何よりも恐れているのは
幽霊でも、不審者でも、
暴走族でもなく、ヤンキーでもなく。

『熊』

不審者は
僕の方こそ不審者
だと思い、近寄りもしないだろう。

幽霊は
別に見たかって殺されはしないだろう。
(ここへ来る一週間に人生で始めて
本当の本当にクッキリと幽霊を見てしまったが…。)

暴走族は
一対一、サシの決闘でなんとかなるだろう。

ヤンキーは
話すとすぐに打ち解けて友達にもなれるだろう。

熊は…
殺されるだろう。

おいおい、マジかよ。

とにかく、熊が出てこない内に
山を抜ける事にした。

あと一つ怖いものは自然災害。
大きな大地の力には人間の力では
どうにもならないことが状況によっては必ずある。

順調に進み、京都府京丹後市へ入った。

IMG_3873

途中の昼ごはん休憩で
甘いものが食べたくなって
黒糖を鞄の奥底から取り出し食べた。

IMG_3867

日本最南端の島、波照間島の黒糖。
これはニセコに石垣島の
えみこねーさんがくれた物だ。

座ってに手をついていたベンチの近くで
毛虫が近くでクネクネ動いていることに気がついた。
この季節は毛虫にも注意が必要だ。
IMG_3869昼食を終えると
お腹のものを少し消化するまで
30分ほどゆっくりする。

再び出発
IMG_3874京丹後市へ。

夕方になるにつれて
天気は回復に向かう。
IMG_3886やっとの思いで天橋立が見え始めた頃。
海辺で写真を撮っていると
近くで釣りをしていたおじさんに話しかけられ
20分ほど立ち話し。
立ち話しの様子も生放送を意みた。
録画したものを下記のURLから見れます。
http://twitcasting.tv/xtsurux

http://twitcasting.tv/xtsurux/movie/175213400

あと一人が観覧してくれると
この動画は永久保存してくれるそう。
そうでなければサイト側から
削除される様になっているらしい。

おじさんはチヌを狙ってそこで釣りをしているらしかった。
今の時期は海藻が海底にあるので
餌がそれに隠れてしまって
なかなか釣ることが難しいそうだ。

今夜どうするのかと聞かれ
野宿なので毎日、夕方頃に寝床を
探し始めるだけで、
ちょうどその時間だと説明。

すると、そこから見える天橋立を指差して
あそこの中に東屋があったと思うよ。と
嬉しい情報を入手した。

観光地だから夜は閉鎖しているのかと思っていたが
24時間、昼夜問わず、自転車と歩行者が
通行できる様になっているらしい。

車道はないので車は通れない。
IMG_3887天橋立でキャンプ出来るかも?!

いいじゃん、それ!

まずはどんな所なのか、
行ってみることにした。

全長3、2kmの天橋立は
松の木が歩道の両サイドに覆い茂り
右左からさざ波の音が不均等に柔らかく鳴り響いていた。

近くにトイレがあり、水道もあって
屋根のある大きな東屋を
天橋立には入ってから早々に見つけたので、
そこにすると決めた。

翌日にわかった事だが、
そんな場所はいくらでも
この通りに惜しみなくあったのだった。
スクリーンショット 2015-06-17 11.21.39


6月10日 (399日目)
『真夜中の恐怖を支配する森の音』

天橋立の東側の海岸で起床。
DSC_0032今日も屋根があり、
蚊が少ないので蚊取り線香を焚いて
寝袋に入って夜を過ごした。

目を瞑って左右から
それぞれに聞こえる波音を聞いていると、
水の中にいる様な感覚の中で眠りに落ちた。

今日も朝から観光で訪れていた多くの方々と
立ち話をしながらあれこれ用意を進めた。
IMG_3890今日は天橋立で有名な『股覗き』をしてから
出発することにした。DSC_0028砂で舗装された気持ちの良い道を3km進み、
北側の展望台となる笠松公園を目指す。

その時間帯は展望台からの帰りの人が多く、
通り過ぎる人々が驚いたり、
がんばれーと声援を頂いたり、
どこからじゃ?と質問してくる人がいたり。

ほとんどの方が反応してくれて
なんだかおかしくなった。

IMG_3891

ロープウェイからまっすぐ伸びる
メイン道路の坂を上がっている途中に
店先に立っているお土産屋のおじさんおばさんに
このまま上がって駐車場があるのか尋ねてみた。

そうすると、
「うちの裏にある場所に置いていったらいいよ。」
そう言って土産屋の裏へ案内された。
IMG_3892土産屋の横を通り抜けると
狭いメイン道路からは
想像もつかない広さの駐車場があった。

自転車を止めさせてもらって
カメラなどの荷物をリュックに詰め込んで
展望台へ足を向けた。

土産屋から坂を歩いて50mほど
登った場所にロープウェイがあった。
IMG_3893
値段を見てみると600円ほどだった。

一日500円以内を目指しているので
歩いて行けるものなら歩いて登りたい。

すぐそこに頂上が見えているので
20分足らずで登ることが出来るだろう。

受付の方に登山道はないか尋ねると、
横の道を上がっていく道がそうらしい。
お寺の横を過ぎて
歩いて山道を上がることにした。
DSC_0043ほんの10分程度で展望台へ到着。

早速、股覗きを試みた。
DSC_0038DSC_0035逆さに見ると、天地がひっくり返り
天に橋が架かっている様に
見えることからって見えねー。

あまりよくそれはわからなかった。

観光地化される前の大昔には
下の町にも建物は少なく、
人が作った建造物が見えない時代だったからこそ
そう見えたのかもしれない。

山を降りて、
先ほどのお寺に入る。
DSC_0045四国で覚えたお経を唱えた。

なぜかと言うと、
南無大師遍照金剛の幟が立っていたからだ。
これはお遍路をしていた1年前によく見た文字。

お遍路をする者は、
常に弘法大師空海のお大師様と2人で共に
旅をしている感覚を忘れずに、
全てはお大師様が築き上げた
その道の上で起こることであり
それらはお大師様からの恩恵である。

と云う意味だと
あの八十八ヶ所の体験を通したことで
これを解釈している。

開経偈から般若心経まで、
四国で覚えた流れ全てを唱える。
10分ほど暗記していたお経を詠み終え
寺を後にした。

僕は四国八十八ヶ所全てのお寺を周り
お遍路を終えているが、
奈良にある高野山へ行き
無事に遍路の修行を終えられた事への
感謝のお礼参りに行く事を忘れてはいない。

時々、そのお礼参りの時に
久々に唱えるお経に間違いがないように
胸を張って言いたいため。

今回に限らず、
僕は日々こう云った所を見つけては
お経を唱えている。

土産屋に戻った。

快く自転車をおかせてくれたので、
なにかお礼にと、
金欠でささやかながらの気持ちではあるが、
土産屋で買えそうな物は無いかと見て回った。

IMG_3894

すると干物が100円前後で売ってあったので
タコとサヨリのみりん干しを180円で購入。

そのまま食べられるのかと思っていたが、
「それは焼かなければ食べられないよ。
今、焼くからちょっと待っててね。」
そう言って、すぐに火で炙ってくれた。

IMG_3897

って

タコ小っっさ。

焼く前はサヨリより大きかったのに、
4分の1ほどの大きさにまで縮んでいた。

それら2つをおかずに
朝に作ったおにぎり一つをほうばった。

食べ終えると荷物を整えて
動き始めることにした。

土産屋の方にお礼を言って
坂を下り、信号待ちをしていると。

交通整理の為に
旗を持って立っていたおばあちゃんに
「あらまぁすごいねお兄ちゃん、どっからだい?」

神戸です!

「はぁー。こりゃまた…あんたジースでも飲むかい?」

突然の事だったので聞き取りづらく
とっさに答えた。
えぇ?あ、はい!

「ほんな、あそこの自販機全部100円やから
なんかコレで買うて飲み。」

そう言って、100円を手渡してくれた。

わぁ、おかあちゃんありがとう!!
そう言って受け取り自販機にジュースを買いに行った。

背中を向けた僕に
「気を付けてがんばるんやぞー!」
と大きな声でおばあちゃんは言った。

うん、おばあちゃんも元気でね!

そう言ってジュースを買った。

「あんた、そのまま行きなよ!気を付けてな!」
またおばあさんが大声で言った。

うん、おかあちゃんありがとう!
行ってきます!!

周りの観光客など気にせず大きな声で
僕も誠意一杯、笑顔を振りまいて
おばあちゃんに言った。

その笑顔のまま、
おばあちゃんに背中を向けて走り出した。

山登りの後で汗もかいたし
缶ジュースのC.Cレモンを買わせてもらった。
IMG_3899

どこか落ち着ける場所で
飲もうと思い、海沿いに進路を変えた。

天橋立に戻る前に
橋立の付け根に位置するあたりへ。
そこには向こう側へ船で渡れる観光船の
フェリー乗り場があった。

目の前の広場にベンチがあったので
天橋立を眺められるその場所で
ジュースを飲むことにした。

数分してから、
観光に訪れた夫婦に声をかけられた。
少し話すとフェリーの時刻表を見に一度離れたが
お父さんだけ戻って来て
話の続きを聞きにやってきた。

これも、ジュースを買ってくれた
おばあちゃんの縁。

お金は全然ないけれど、
そこらの人には持っていない経験がある。

その事を聞きたいと思う方には、
それを話せば
その人を楽しませる価値のある事が出来る。

だから、おばあさんからの恩を
このおじさんに返そうと
精一杯楽しんでもらえるように話して聞かせた。

やがてフェリーが来て
おじさんは奥さんの元へと歩いて行った。

その後ろ姿を見て、
俺は何時になったら結婚できるのだろうか…と
ふと思い、前の彼女の顔が浮かんだ。

自分は、目の前の事に没頭してしまう癖があり
必ず付き合った彼女に
寂しい思いをさせてしまう事が多々あった。

そんなストレスから彼女を怒らせてしまい
喧嘩も何度も何度も繰り返した。

やがて、愛してる彼女に
そんな目に遭わすのは
本当に愛がある行動なのかと思い始めた。

ただ、自分が好きなだけで
自分の都合に合わせさせている様な
嫌悪感を抱いていた。

その子を愛しているならば
そばにいたいと思うし
触れたいと思う。

それがこの旅生活では出来ない。

だから、彼女と別れ、一人になる決断をした。

幸せになって欲しいと願った上での
自分なりの最後の愛の形だった。

完璧な左フック食らったり色々したけども
一度は好きになった人は嫌いにはなれないし、
特別な目で見ている。

好きは好きだと。

何でも根拠もなく自信満々で取り組めるが
そう云った面では、今はもうこればっかりは
珍しく自信がない。

この道を進むと23才の頃に決めた以上
あの時想像した世界に行くにはどうしたらいいか。
それが判断の基準になっている事は
自分でも気付いている。

いろんな方々にやると宣言し、
数多くの人に約束してきた。
やると決めた以上。
もう、後へは戻れない。

後に戻れなくするために
いろんな人に公言し
約束してきた事もあるのだろう…。

考えても仕方のないことを
振り切るかのように立ち上がった。

少し、センチメンタルな気持ちになりつつも
天橋立を通って次の街へと向かうことにした。

天橋立の3.2kmの道のりの上には
様々なこの土地に関する説明書きや
歴史を記した看板が多く設置されていて
ただの長い松林の道ではなく、
要所証書に見所を作ってくれている。
IMG_3900

やがて朝に宿泊した東屋を越えると
橋を渡って天橋立を抜けた。
IMG_3901

今日も夕方まで東へ走り続ける。

やがて綺麗なブルーの日本海が見えてきた。

IMG_3904

綺麗な透き通った海を横目に走り、
山道へと景色は変わり、山の谷間を進んで
舞鶴市へ入る。

IMG_3912

山の谷間を越え、
舞鶴市の閑散とした町並みを通過。
IMG_3914日が西に傾いて来たので寝床を探すことにした。

携帯の地図を見てみると
進んでいる国道から少し反れたところに
お寺があり、その集落の一番奥地に
鹿原公園がある場所を発見。

スクリーンショット 2015-06-17 19.37.28

そこへ向かってみることにした。

横にあるお寺が見えたので、
その先が今日の目的地の公園だ。

公園に到着。

IMG_3917IMG_3915DSC_0051

静まり返り、散歩に来る人も
一人もいない公園だった。

自然の音だけが響き渡る気持ちの良い場所で
一目で気に入った。

やがて徐々に赤らめていく空の色を眺め
一つ一つ、空から色が消えていく様子を
静かに眺めていた。

DSC_0053

その晩、

ご飯も終えて蚊も増えてきたので
テントを久々に貼って寝ることにした。

目を瞑り、静まり返った山に囲まれたこの場所。

ふと、豊岡で見た熊の檻の事と
有吉みたいな女の言っていたことを思い出した。

「溝に黒いものが
モニョモニョ動いていると思ったら
熊だったんだよねー」

熊だったんだよねー

熊だったんだよねー

熊だったんだよねー

オーーーーーマイガッツ!!
ナンテコッタパンナコッタ
言うとる場合ちゃうでしかしこれしかし。

食料などは10m離れた自転車に積んであるが
もし、あそこに食べ物をあさりに来たらどうしよう?

そんな事を考えていると…

ガサガサッ

…え?

心臓が張り裂けんばかりに鼓動を一度打つ。
体全体に鳥肌が走る様に逆立った。
確実に近くの山の麓辺りから音がした。

街灯も一つもない
山奥の真っ暗闇にある公園。

恐怖と有吉みたいな女の声が頭を支配した。

熊だったんだよねー

熊だったんだよねー

熊だったんだよねー

熊だったんだよねー

Wow Exciting♪♪ってなにがじゃ!

仰向けに寝ていた体をすぐさま、
音が出ない様にうつ伏せになった。

テントの入り口のメッシュ生地から
音がする方を目をまん丸にして監視。

キィンッ!!

何かの動物がとてつもなく大きな声で叫んだ。

さらに目を大きく見開いた。

 こ、、、こえぇぇぇぇ〜。

 超絶なる恐怖。

こんな民家も何もない山奥じゃあ、
もし熊だったとしたら逃げ場がない。

何かの足音は時折、移動している。

そして、不意にキィンッッ!と
何度も不定期に叫ぶのだ。

その音の聞こえる方に注意しながら
少し離れた所まで行くと、
すぐさま静かにテントを出て
包丁を取りに向かった。

おそらく、鳴き声からして子鹿。
母親とはぐれて親を呼んでいるってとこだろう。

もし、小熊だったとしたら…
確実に母親は近くにいる。

念のために唯一武器となる
切れにくく命を守るには頼りない包丁
テントに忍ばせた。

クマに出会った時の事を想定して
どうやって殺されずに生き延びるかは
ずっと前から決めている。

この包丁では
心臓は一突きで仕留めるのは難しいだろう。
大きな身体の熊の懐に入るのも危険。

心臓の次に致命的な急所は
『目』

ひっかくなどの攻撃も来るかもしれないが、
首や頭を噛まれる致命的な傷を負わされる前に
クマに左手を噛ませ犠牲にしたのち、
その位置なら目を狙える。

おそらく、100円の包丁で
命を守れる可能性は…

それしかない。

それに、熊にとっても一生傷は残ってしまい、
人間のことが大嫌いになるかもしれないが、
命を殺すことなく済ませる事が出来る。

もっとも。
俺は熊と決闘なんぞ、更々したくはない。
殺しにかかってくるのは確実に向こうなのだ。

そこまで考えて戦う俺はまさに

Love&Peace♪
って言うてる場合ちゃうちゃう !!

30分ほど近くをウロウロしていた謎の動物は、
深い森の中に
いつの間にか気配を消していた。

再び公園には普段通りの静けさが戻った。

ふぅ、、、やれやれ。

熊にだけは絶対に会いたくないなー。

やっぱり、
そう思ったのだった。


日本一周再開 6月6〜8日(395〜397日目)

 

2015年
6月6日 土曜日
(395日目)

『日本一周再出発』


 

いよいよ待ちに待った旅再開の日が訪れた。

前回の旅で得た教訓を生かして
さらに快適な旅が出来る様にと、
準備は万全。

自転車にくっついているカバンの中身を
全てプラスティック製のタッパに小分けで入れ
どんな雨が来ようとも荷物は濡れないように工夫。
IMG_4010

この方法は去年、四国のお遍路旅をする前に、
しまなみ海道で出会ったお兄さんが
やっていたのを参考にさせてもらった。

これで破れているカバンからの浸水は防げるだろう。
取り出しのしやすさもこの方法の魅力だ。
いちいち着たい服を出して
着なかった服が崩れてまたぐるぐる畳んで
しなければならないのは面倒だ。

他には、使わないものを減らし、
少し重量を抑え気味に。

神戸で稼いだお金は
ケータイや保険などの支払いを済ませると
残りたった2万5千円となった。

これを握りしめて
どうにか北海道にたどり着き、
この夏は、一ヶ月間北海道で
仕事に就こうかと考えている。

昨年は石垣島でも、北海道でも
Barだったので、
今回は地元に根付いた職業を選びたいと思う。

狙いは利尻島か礼文島のコンブ漁。
又は今、一番気になっている知床半島。

北海道までの予定期間は

およそ、2ヶ月間。

絶対に資金が足りる訳がない。

食費、生活費などの他にも
携帯代や保険代などもある…。

確実にこのままだと一ヶ月間持っていいところ。

それまでに進みながら

『必ず』

どうにか資金を稼がなければならない。

その方法は、一応考えてあるが
それは、またその時に書くとしよう。

さぁ。

本当に行けるのか…??

今のところ、
自分で辿り着くほどの資金を調達する道を切り開かねば
北海道に辿り着く可能性はゼロ

むしろ
旅人から一気に
どこかの街でホームレスと化すだろう。

きな不安を抱いて

いざ、出発。

IMG_3775

見てください、皆さん。

この不安そうなを!!

非常に、不安そうであります。

 今回の出発は、
自宅から母親一人に見送られ
人知れず、ひっそりと旅路に戻った。

ルートは
前回実家に自転車を置きに来るルートを戻り、
まず北海道とは逆の西向きを進んで
福崎市から北へ北上。

昨年の寒い11月頃に
朝来市で小屋に泊めてもらい、
翌朝、岩津ネギを20本も持たせてくれた
あの、
「ワシは名乗るほどの者じゃあないよ…。」

…。

「細い谷と書いて、細谷だよ。」

って、言うんかいっ!!


細谷さんに、元気な顔を見せに向かおうと思っている。

細谷さんに逢い、
前回の旅の気持ちを思い出してから
日本海側を北上する予定だ。

天気は晴れ。
出発には最適な快晴だった。
IMG_3776神戸に戻ってくる時に通った道を通り
前回の旅での出来事を振り返りながら走る。

懐かしい感覚。

IMG_3789

 以前この道を通った11月末は
とても寒かった。

夜には気温が5度を下回り
野外での生活が厳しくなり始めていた季節だった。
雨も降り、その日は初めての120kmという距離を
朝から晩までご飯一食で走ったんだっけかな。。

そんなことを考えながら田舎道を走っていると
目の前に車が停車し、
おじさんが手に何か持ってこちらを見ていた。

おじさんの手にはジュースが二本。
「お兄ちゃん、頑張ってるね!よかったらこれ飲んでよ。」
そういってジュースを手渡してくれた。
IMG_3788
自販機などで買えそうな飲み物でないことから
どこからか取りに行ってから
わざわざ持って来てくれたのだろう。

その証拠にキンキンに冷たい。

おじさんの優しさに感謝しつつ
また前へ進む。

小野市へ入り、走行を続けていると
車の助手席に乗った若い女の子に
「写真、撮ってもいいですか?」と
声をかけられた。

もちろん!

運転していたお母さんと
娘さん二人とで、少し立ち話し。

ほとんどの方が第一声目を
「どこから来たの?」と言う。

残念ながら神戸です。
ですが…と、今までの旅の事を説明。

すると、話の中で
お母さんは四国八十八ヶ所のお遍路を
車で行ったことがあるらしい事を聞かされた。

僕が去年に行った
四国霊場開場1200年記念の期間に
八十八ヶ所へ行きたかった事を聞かされた。

1200年記念の時だけ
各、お寺で貰える『赤い記念の御影札』
が欲しかったとお母さんが言っていた。
(写真の左上)
1200mieinew04当然、僕はそれを
八十八ヶ所分、すべて持っていたが、
一枚だけ二枚持っている物があった。

それは昨年、遍路を始めて間もない頃。
普段は納経所で一枚ずつ渡してくれるものだったが
あるお寺では、自分で取って行って下さいと
置かれていた場所が一箇所だけあった。

その場所で一枚取ったはずが、
もう一枚重なって間違って取ってしまったもの。

それからと言うもの、
これは、必要とする人が現れた時に上げようと
なんとなく決めていたのである。

その事を思い出し、お母さんにこう約束した。
唯一、一枚だけ家に余っている札があります。
予定では僕は秋に帰ってくるので、
その時に連絡を頂けたら僕は必ず、
そのお札をお母さんの所まで届けにきます。

なので、ホームページを見て
僕の動向を見ていてください。と。

お母さんはその話を聞いて
大変喜んでくれた。

その顔を見れただけで僕も幸せな気分になれた。

これから旅を続けていく上で
関わって下さった方々全ての人々に笑顔を増やす。
これも、いつからか思い始めていた事。

IMG_3777

娘さんと、僕と、お母さんの

指。

三人揃って記念写真。

(娘さん、突然の事で化粧してないからと
恥ずかしがっていた写真を載せちゃってごめんね!
NGならすぐに削除するから
連絡先から直接メールください)

出発早々に、面白い出会いがあった事で
さらに僕の心は、この今回の旅への期待を膨らませた。

国道から並行するように
河原土手を走れる場所を見つけて
道を逸れてゆっくりゆっくりと。
DSC_0020初日なので、休憩も多めに摂って前へ進む。
IMG_3786
土手道もそう長くは続かなく
大通りに戻ってから加西市に入り、
初めての食材調達をしに大型デパートへ。

入り口辺りに自転車を停めると
デパートに出入りする多くの方に声をかけられる。
記念に写真を撮ってくださいと
言われる事も珍しいことではない。

僕も記念に。と一枚撮ってもらった。
IMG_3791コンビニでタバコ休憩していると
声をかけられた方にもジュースやおにぎりを
手に持たせてくれる方もいた。
IMG_3792

声をかけてくれた人には必ずステッカーを渡す。

それが笑顔や喜びになったり、
ジュースになったり、
時には1000円にもなったりすることも。

いつもされてばかりいるから
と云う気持ちでするが、
さらに何かお返しがくることもしばしば…

別にそんな事を狙ってやっているわけでもなく
してくれる方もやりたいからしてくれるのだ。
その気持ちは、受け取らなければ逆に失礼に値する。

それも四国のお遍路で「お接待」の
文化を学んだことだ。
僕はさらにその受け取った気持ちを
この世の中に返す。

それだけで、
その方に直接恩は返せなかったとしても
”良き行ないの連鎖”は続いて
周りまわってその人へ返ってくるのだ。

地球は丸い。

この星(地球)は回っている。

だから、ぐるぐる何でも回る様になっているのだ。

目に見えない力は目に見える物にはぶつからない。
建物も、山も、木々も、
個体、物質、全てを透き通って通過し
目に見えない心には届く。

目に見えない力は投げてしまえば
地球をも一周すると僕は感じている。

っとまぁスピリチュアルっぽい事も
たまに言いますが、
あぁ、また言い始めたか。と思いながらでも
お付き合いを、どうかよろしく願いします。

やがて、日は山に隠れ始める頃に
寝床を探し始めた。

足は当分この自転車を漕いでいなかった分
やはり筋力は多少落ちて
太ももが悲鳴を上げているのがわかるほど。

手頃ないい寝床が無く、どうにか近場で寝床を探したいと
福崎市を走っていると
ようやく気持ちの良さそうな河川敷を発見した。

キャンプ生活の寝床に最適だと思う場所は、
まず第一に、
迷惑のかかる場所ではないか。
そして、水があるか。
その次に、トイレがあるか。

これらが揃い、景色も最高な場所が
一番のベスト。

この河川敷は水は無いが仮設トイレはある。
水道がないことに愕然としながらも
もう、動ける気もしない。

どうしようかと考えていると
たまたま近くにいた若い男の子二人に
声をかけられた。

色々立ち話をした上で
念のため、ここら辺に水道が使える
公園は無いかと尋ねてみた。

あまりここ辺りは網羅するほど詳しくないらしいが
少し離れた場所にある図書館とかならあるかなぁ…
と言ってあれこれ一緒になって考えてくれた。

自転車を漕ぐのも足を痛めてきていたし、
ちょっと面白いかな?と考え、
思い切ってこんなお願いをしてみた。

こちらから厚かましいお願いするのはこれで二度目。
初めては北九州でお世話になった古賀夫婦でした。
九州最初の初夜に家に招かれて
帰り際に雨で寝床をどうしようかと
悩んでの末のお願いだった。

あの夫婦は今も元気に仲良くしているんだろうか?
そんなことも、頭によぎりつつも。

「すまない、一生のお願いがあるんだけどさ。
もし、暇で用事も何もないんだったらでいいんだけど、
君たちの車で一緒に水を汲みに行かせていかない、、?」
と。

二人は「えぇ、全然構いませんけど、
なんなら、お兄さんのシールもらって僕ら嬉しかったんで
そこらへんで水くらい買ってきますよ!
何本必要ですか?」

まさかの返事が。

水を汲みに行く方が面白いかと思っていたが
近くのコンビニの方が手っ取り早いと言う決断に至り
2リットルのペットボトルを2本も買ってきていただいた。

恩人の二人とは写真も撮らずで
それが唯一心残りだった。

ありがとう。あの晩は、
その水があったおかげでお米も炊けて
お皿も洗えて、喉を潤せた。
本当に助かりました。

神河町出身の二人、お世話になりました。

(あの時の二人へ。
あの時君たちのカメラで写真撮らなかったかな?
あれば欲しいです。
トップの連絡先から直接メール頂けると嬉しいです。)

再出発初日。
まずは、目的地の逆方面へ50km前後走破。
足が少々痛い。
スクリーンショット 2015-06-16 18.21.50


6月7日(396日目)

眼が覚めると
広々としたテント内は真っ白な光が降り注ぎ
太陽が昇り始めていることがすぐにわかった。

今回の旅では珍しく、
唯一新しい道具が、この旅から仲間入りした。

ジャジャ〜ンッ!!!!
IMG_3795 IMG_3796真新しいテント!!

THE NORTH FACE
BIG FAT FLOG

大きな太ったカエル。
なんとも可愛らしいネーミング。

このテントはが付くほど快適

寝室内は以前使用していた
モンベル ムーンライトテント2〜3人用よりも
はるかに広々として、
入り口付近の高さも十分にある。
DSC_0942

何と言っても、
このテントのイイ所は寝室の広さだけでなく、
前室も広い
IMG_3798風が強い時などはこの中で
調理などを悠々とすることができるだろう。

右側にはコの字になった素材になってあり、
そこにも雨が降った時に濡らしたくない荷物を
置けるように考えて工夫をされている造りだった。

モンベルでも調理は出来ないことも無いが、
少々窮屈さが目立った。

IMG_3844

建て付けは、モンベルの方が
骨となる部分が一本につながっていたので
組み立てはこちらの方が簡単。

天井が低く、中での生活が窮屈だったのが難点だった。

その悩みが一気に解消された。

このテントは、出発3日前
大阪のNORTH FACEで働いている友達と
山登りをしていた時。

(写真 当時作ったバランスストーンアート)
IMG_3723
今のテントは、5年以上使っているから
ボロボロになってしまっていて
雨にはとても困るんだ。
雨の時が一番苦労するし精神的にも辛いと、
話の流れで話したところ。

2〜3分後、山を歩きながら突然。
「じゃあ、応援してるから私のテントを授けるよ!
だから、それを持って行って頑張って!!」

そう言って託される事になった代物なのだ。

ありがとう、舞ちゃん!!
NORTH FACEのテント、だいぶ気に入ったぜ!
IMG_3726

テントの性能に満足しつつ、
外へ出るとゲートボールを楽しんでいたおじいさん、
おばあさんの格好の餌食となり
1分も経たない内にゾロゾロと人が集まってきた。
IMG_3799

どこから来た?
これは重たくないか?
このソーラーは何に使っている?
などなど…。
IMG_3797

繰り返し繰り返し、
代わる代わる寄ってきては
同じ様な質問をされる。

どっから来た?
重たくないか?
こりゃ大変じゃのう…。

自分にとっては日常茶飯事の質問だが
丁寧に一人一人説明する。

その人にとっては、僕と初めての会話なのだから。

あれこれ、説明したり
僕の夢は、国を一周するごとに
一冊の本を書こうと思っている事を話すと
みんな素敵な表情を浮かべる。

その表情を見るために
一生懸命、一から自分の事を説明している。

いつからだろう。

そのことが億劫ではなく、
その笑顔を見るために
心からそれを人に笑顔で話せる様になったのは。

旅とは、
自分に色んな物事を気付かせてくれる
何気ない『一日、一日』のことだと思う。

今、そこでどう感じるか。
どう動くか。

その一つ一つの言葉や行動が、
その一日を大きく左右する。

こんな、カッコつけて物事を言ってますが、
テントを片付けて地面を見ると…

IMG_3800

う◯こを踏んずけて寝ていました。

…。
運がツいてるってことで、
今日も出発することにした。

大丈夫。
テントは地面に直張りでなく、
ブルーシートの素材に似たような
厚手のナイロン素材でできている
グラウンドシートと云う物を使用した上に
テントを建てているのだ。

これは鋭い石や、雨や地面からの
水分を防ぐ物。

それは時に、
う◯こや、その匂いからも
身を守ってくれる。

お気に入りのテントは大丈夫。
さ、これからは北へ進む。

ここからは緩やかな登りが10km前後続くことは
前回降りてきた時に知っていた。
おそらく自転車で兵庫県を北に進みたいならば
この道が勾配的にも難なくと登れるだろう。

緩やかな登りに、
二日目の体を慣らすようにゆっくりと。

綺麗な景色を見つけては、
眺めるために休憩を摂りつつ坂を登った。
IMG_3802一年間雨ざらしにされてきた看板は
見事に年季が入ってきていることに気がついた。
IMG_3808よくよく自分の相棒である自転車を観察してみる。

IMG_3809椅子の下にぶら下がっているのは、
仲間達から貰ったお守り達がいる。

ド田舎のド真ん中に一人で座って
それを見ていたが、
みんな、そばに居てくれている様な気配を感じた。

離れていても心では、繋がっている。

そんな事を感じさせてくれた仲間達に感謝しつつ
再び自転車に跨った。

IMG_3810

昼を過ぎた頃に生野峠の頂上へ到達。
そこから一気に山を下り、朝来市へ入った。

一度、手前で朝来市の細川さんに
電話してみたが電話に出ない。

日曜日だったこともあり、
家族でどこかに出かけているのかもしれないな。
折り返し電話が来ることを待ちながら
足を前に進めた。

やがて、見覚えのある景色が目に入り、
細川さんが、ここ辺りが自分の家だと
入っていた辺りに到着。

電話はまだこちらには入っていない。

何度も掛けると迷惑かな…
そう思ったが、もう一度だけ電話を掛けてみる。

お、繋がった。

電話に出たのは奥さんだった。
誰だかわかっていない様で、
秋に小屋でお世話になった者です。
近くを通ったので通りすがるのも何かと思いまして
顔を細川さんに見せに伺おうかと思っているんですが…。

そう説明すると、
ようやく分かっていただけたみたいで
「あらぁ、あの時の?! じゃあ今すぐウチの方へ来なさい。」
と喜んでくれているとわかる声だった。

細川さんに半年ぶりの再会。

自宅前には細川さん夫婦と、息子夫婦に
子供達が3人ほど遊んでいて
大きな自転車が来た事に子供達は大喜び。

ささやかながら
近くの自動販売機でコーヒーを
甘いものとブラック、どっちでも選べるように
買って行った。

ほんと、お金なくてこんな物で申し訳ないんですが…
そう言って細川さんに渡すと、ワシは甘いでいい。
ブラックは飲まんから君の分だ。
そう言って2本のコーヒーを分けて再会に乾杯した。

お母さんも、「その気持ちだけで嬉しいからいいんだよ」
そう言って優しく微笑んでくれた。

IMG_3811

前回泊めて頂いた事や白ネギを大量に貰い、
お世話になったお礼を告げると、
お母さんは、「いま岩津ネギは時期じゃないけど、
最近収穫した玉ねぎならあるけど持って行く?」
と聞いてくださった。

丁度、玉ねぎは持っていなくて
今夜辺りに野菜を使った料理を食べようかと考えていたので、
お言葉に甘えて2個ほど下さい。とお願いした。

すると、倍以上の6個ほど持ってきて
持たせてくれたのだった。

「また、いつでもいいから顔を見せに来ておくれよ。」
細川さんは優しい表情で僕に言った。

ありがとうございます。
こちらに来た際は、また顔を見せに伺います。
出会って二度目の記念に。と
2枚目のステッカーをプレゼントして再び旅路に戻った。

秋頃に現れる雲海が有名な
武田城跡の横を通ると、
麓の国道からでも城跡が見られた。
IMG_3814DSC_0025竹田城跡を通過して今夜は
前回に寝泊まりした
モンゴル移動式住居、筒(パオ)が
展示されている公園で宿泊し、
これまた前回の旅を振り返る予定だ。

近くに温泉もあることを知っていたので
これまた前回と同じ温泉に入った。

5時頃に温泉に到着。
2時間ほど寝転び湯で主に寝て過ごし
暗くなり始める頃に移動を開始した。

近くのイオンで安い鳥きもとニンニクを買い、
玉ねぎとの炒め物を作る事に決めた。

早い時間に公園に着いても暇なので
イオンの外にあったベンチでぼーっと暇つぶし。

横に座ったフィリピン人のおばちゃんに
興味を持たれて話をした。

フィリピン語で知っているのは「クヤ」と言う言葉。
これはお兄ちゃんを意味する。
神戸のお店に働いてくれていたスタッフが
フィリピンと日本人のハーフで
妹分みたいな子にそれを教えて貰った事を話した。

たくさんの外国人が訪れるBarをやっていると知ると、
朝来にはそんな店がないからうらやましいと言っていた。
大体の日本語を理解しているようだった。

やがて、公園に移動して
晩御飯を作り食事を終えた。

あれ?ちょっと待てよ…。
ふとしたことに気がついた。

蚊がいない。

兵庫県南部の神戸には
もう、ウジャウジャ蚊が出てきていたのに
北部は山間部でまだ少し気温が低いからか、
蚊が居ない。

今夜もここではテントを張らずに
大きな屋根の下でベンチを使って
寝袋だけで寝ることにした。
IMG_3816


6月8日(397日目)

朝、モンゴリアンは目を覚ませた。
IMG_3815

大草原こそ無かったが、
あたりは広々とした公園だった。

昨晩に作っておいたおにぎりを
豆腐と納豆と共に食べる。

納豆と豆腐は安くて
筋肉に変わりやすい食物性の豊富だ。
筋力を必要とするこの時期にはピッタリな食材だ。

この日の予定は、
秋に通り過ぎてしまい
次にこのルートを通る時に行くと決めていた
念願の地『植村直己冒険館』へ。

いざ、出発!!

IMG_3818

1、2時間ほどで冒険館の近くまで接近したところで
目の前に一台の車が停まった。

車からおじさんがこちらを向いて立っている。

あらら?今日も物好きなお客さんが来たかな?
小さくそう呟いて近寄ってみると
案の定、呼び止められた。

おじさんと少し立ち話しをして
ステッカーを手渡すと、
その場で車に貼り付けてくれた。
IMG_3821おじさんに聞けば
植村直己冒険館はこの先の交差点を
右に曲がった目と鼻の先にあると教えてくれた。

逸る気持ちで冒険館へ自転車を走らせた。

IMG_3822IMG_3823やっとの思いで
念願の地、植村直己冒険館に到着。

IMG_3845

植村直己 1941年2月12日生まれ

日本を代表する登山家であり
冒険かでもある。

ここ、豊岡で生まれ育ち
自然に囲まれた環境の中で育ったことが
彼の感性を磨いたのだろうか。

大学の頃に入った登山部がきっかけで登山に魅了され、
山岳部の仲間が成し得た海外での山登りの話しを聞き、
彼の中の嫉妬心が火を付けさせ世界の山々を登り始めた。

資金面やクレバスに滑落などの
様々な問題を乗り越えながら、
山の頂への道を切り開く。

1965年 ネパール ゴジュバカン8,210mに登頂成功。

1966年  7月モンブラン。続いて7月25日マッターホルン単独登頂に成功。
10月24日 アフリカ最高峰キリマンジャロの単独登頂に成功。
この後アマゾン川のいかだ下り6000kmの冒険を経て、
北米最高峰のマッキンリー登頂を目指すが、単独登頂の許可が下りず断念。

1968年    南米最高峰のアコンカグア単独登頂に成功した。

1970年5月11日、エベレスト南東稜から登頂に成功する。
同年8月26日、エベレスト登頂の勢いを借りて再びマッキンリーに挑戦し
単独登頂を成功させ、この時点で世界初の五大陸最高峰登頂者となった。

この頃から植村は南極横断への夢を抱き始め、
少しずつ実現のための準備を始めた。

1971年8月南極横断距離3000kmを体感するため、
同距離となる北海道稚内市から九州鹿児島までの国内縦断を
徒歩51日間で実現。

グリーンランド北部でのエスキモーとの共同生活を経たのち、
1974年12月から1976年5月まで1年半かけての
北極圏12000kmの犬ぞり探検に成功。

1978年 犬ぞりを操って人類史上初の北極点単独行に成功。
日本人として初めて『ナショナル・ジオグラフィック』の表紙を飾った。

1984年2月12日、43歳の誕生日に
世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしたが、
翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となった。

最後の交信で消息が確認された1984年2月13日を植村の命日とした。
享年43。

誰も成し得たことのない彼の功績は
今にも後世に語り継がれ、
その、証とした場所が、
ここ、植村直己冒険館だ。

植村さんが出版した本は幾つか読んだことがあり
ある程度、彼の知識はあり、尊敬に値する人でもある。

入り口には雪山のクレバスをイメージした造りになった
狭く長い絶壁の壁の合間を歩いて館内に入る。
IMG_3824入館料500円を払い、館内へ。
入ってすぐに植村直己を紹介する短編映画が
観れる部屋へ案内された。

植村さんが生きていた頃の挑戦をする姿を観ていると、
自然と手に力が入り、背筋も伸びていた。

15分ほどの上映を見終わると
実際に登山や北極などで使われていた遺品が
展示されてあり館内の隅々まで
じっくりと展示品を見て回った。
IMG_3829IMG_3828IMG_3827中庭には近年、
グレートジャーニーで活躍されている
関野吉晴さんが行った冒険で
実際に使われた船が展示されてあった。
IMG_3831

グレートジャーニーを知らなかった頃に
Peace Journeyと云う自分の旅のタイトルをつけたが
まだまだこんな方達の前では、
未熟者で恥ずかしい限りです。。。
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↓予告編↓

この作品も一度は見てみたいと願っていたのだが、
ここにあるとも知らず、
不意に実物が目の前に現れたことに
驚きを隠せなかった。

その中には他にボルダリングに挑戦出来る壁があり
誰でも使用していい様に横へ渡るものだった。
IMG_3830スタート地点に案内板があり
見てみると…。

初級…3色
中級…2色
上級…1色

と記されていた。

ほっほ〜。

面白い、やってやろうじゃないか。

心の中で挑戦心がフツフツと湧いてきた。
履いていたサンダルを脱ぎ捨てて
裸足になりスタートラインに立った。

赤、黄、青
この3色のどれかを渡りゴールまで目指す。
ルートを見定めて赤と決めた。

ここは雪山だと想定し、
落ちたら滑落死すると仮定。

一歩目に足を掛け深呼吸して
赤のホールドに手足両方を乗せて
真剣勝負をしてみた。

真ん中までは少し楽しみながらヨイヨイと進んだが
途中、握力に違和感を感じ始めた。

くっ…チョットばかりきつくなってきた…
だがここで落ちるわけにはいかない…!!

ただの一人遊びに、更にヒートアップする。

最後の最後辺りでは
もう腕がちぎれるかと思うほど
両羽腕はパンパンになっている。

やっとの思いで力尽きる寸前でゴールに到着。

両膝に手を付いて息をあげて
キツイ…キツすぎる…と呟いた。
クライミングの厳しさを思い知らされた。

やっぱ植村さんはすげーな。

こんな事を続けて
8,000m級の山々に挑戦するだなんて…。

更に尊敬の念は深まった。

腕はパンパンで少し筋を痛めた様な痛みがあった。

真剣になりすぎたか…

やがて、一通り館内を見終わると
冒険館のスタッフに声をかけられた。

先ほど館内を見て回っていた時。

「ここへ旅人の方が来られたら
取材させて頂いているのですが、
後でお話を伺ってもよろしいですか?」

 と言われていたのだ。

もちろん了解して取材をしてもらった。

今までの旅の軌道や
旅を始めた動機、
4年前に事故に遭って
今は再挑戦であることや、
神戸でお店をやっていること。

色んな話しをありとあらゆる事を話した。

すると、取材してくれたお姉さんは
「いやー、今まで聞いた話の中で一番面白かったです。」
と、高評価をいただいた。

もしかしたら植村直己冒険館のホームページに
僕のことを書いてくれるかもしれないらしい。

今のところ確認してもなかったが
もしアップされればブログにも
アップしようと思ってます。

だから宜しくね、冒険館のお姉さん(笑)

インタビューも終わり、ここに来れた事で気分が良かったので
大好物のコカ・コーラを飲んで休憩していると
とても美味しいゼリーの中に団子が入った
美味しい、和菓子??と、記念バッジを頂いた。
IMG_3840館内を後にして外へ出ると、
記念写真を撮ってもらった。IMG_3844

時刻は4時近くに迫り、
今日の走行は豊岡あたりまでと予想し
走り始めた。

20kmも走らないうちに
豊岡市へ到着。

 雨が降ってきていたので、
駅前からまっすぐ伸びる
アーケードの下で雨宿り。

IMG_3841

市役所の目の前にあるバス停のベンチに腰掛けて
さて、何するかな…とこれからの事を考える。

あ、そういえば…!

前回豊岡へ来る前に香住で4度も再開を果たした
三木さんに電話を掛けてみることにした。

残念ながら、三木さんは仕事で
姫路の方へ引っ越したのだそうだった。
会えないのは残念だったが、
突然の電話に大いに喜んでくれて
20分ほど電話で会話をして、
秋に帰ってくる頃にまた会うことを約束して電話を切った。

それから街をぐるぐる回って
面白そうな店やBarや寝床などを探したり、
とにかく動くことにした。

町はシャッターが閉まっている店も多く
雨だからか、人も極端に少ない。
活気は見られない町並みだった。

やがて、見覚えのある公園を発見。
昨年に通りすがった中央公園に
屋根のある東屋を発見。

そこを寝床にする目星を付けた。
一度、その東屋で休憩。

明るい時間に早めの晩御飯を食べることにした。
IMG_3842ここへ来て、1年前に貰った
広島のお好み焼き屋、『さりぃちゃん』で
頂いたサンマの缶詰を食してみることに…。

この缶詰…食えるのか…?!

広島から九州を渡り沖縄まで到達したのち
また、九州に戻っても食べられることなく
本州へ帰ってきたこの缶詰…。

賞味期限は来年辺り。

いざ実食…!!

うん、食えた。うまい。

缶詰の腐らなさハンパねーな、おい。
何の薬品が入ってんだ缶詰…
不思議に思いつつも完食。

その後腹も壊すことなく過ごせた。

やがて暗くなると
もう一度だけ町へパトロールへ出かけた。
人が沢山飲み歩いていると、
路上で何かやってみようと思ったが
そんな雰囲気でもなさそう。

相変わらず閑散と静まり返った町並みだった。
IMG_3847IMG_3846

面白そうなBarも見つからず
1時間ほどで諦め、
安い発泡酒を一本買って
小ぶりの雨の中、中央公園へ帰ることにした。

公園へ到着すると、
目をつけていた公園の奥にある東屋に
若い女子三人がたむろしていた。

一度通り過ぎ、
「え、日本一周?頑張ってー!」
とか言われて礼を行って離れたベンチに座り
ビールを飲む事にした。

ベンチの上には植物の蔓で出来た
日よけのための屋根があり、水が滴ってくる。
はぁー、あの子達が帰るまでどうすっかなー。

町も誰もいないし、お店もない。
何もすることがないから暇だなぁ…
何か面白い事かぁ。

そうだ、いっその事
あの子達と仲良くなろう!

そして、話しをしてあの子達を楽しませる。
それが出来れば、今日この町の状況では、
一番いい物語になりハッピーエンドじゃないか!

よし。いっちょやってみっか。
問題は、知らない女の子に声を
どう掛けて行ったらいいのだろう?

つまらない夜を少しでも意味のあるものに
したいだけだが、ナンパ野郎だと思われても嫌だ。

そして、不審者だと思われるのは確実だろう。
どう不審者でないかを瞬時に見抜いてもらうかも鍵だな。

ノープランで自信満々に、
また東屋へ向かっていった。

「あのー、地元の子?
ここら辺りに屋根のある公園知らないかな?」

その子達が究極の人見知りだった時を想定して
どこかに立ち去れる様な質問を投げかけてみた。

一瞬表情が強張っていたが、
ステッカーを渡すと少しは和らいでくれたみたいだ。

屋根のある公園は女の子たちも
ここしか見当がつかないらしい。

じゃあちょっと暇だから4人で話そうよ。
どうせ、暇だからここに居るんでしょ?
そう笑って言うと3人は受け入れてくれた様だった。

丹後弁を喋る有吉みたいな看護師毒舌女に
割とその中ではおとなし目のネイリスト
きゃりーぱみゅぱみゅも顔負けの付けまつ毛屋さん。
みんな面白くて、いい子達だった。

そのうちの一人は実家の近くにある
三田のアウトレットで仕事しているらしく
その子が帰ってきたので集まって
線香花火をしにこの屋根の下へ来たらしかった。

今までに撮って来た写真などを見せてと言われ、
パソコンを広げて撮り溜めてきた画像や動画を
見せてあげたりしていると
結局、2時間ほど話し込んでいた。

秋に神戸に帰ってくると
お店に来てくれるらしい。
その時、また会えるのが楽しみだ。
IMG_3850

やがて、2時かそこらに解散。

暇だった時間を楽しいひとときに変え
今夜は満足。

前回の旅の軌道を辿るのは今日まで。

 いよいよ翌日から

 見知らぬ土地への突入を開始する。

神戸滞在記

「最近出会った方々へ。」

只今、旅をしていますが
ブログ更新が忙しい日々が続き
少々遅れております。

旅のお話もこの記事以降に書いて行きますので、
長いお付き合いをよろしくお願い致します。

あと、最近コメントがなく寂しく思っております。

報告は、以上。


神戸に帰ってから。

2015年5月2日

神戸三宮でBarの店長を任せている
アメリカ、アラスカ州出身のJustin(ジャスティン)へ
サプライズBirthday Partyが行われた。

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IMG_3368
ちょうど前日にJustinから用事でメールが入り
まだ神戸に着くには時間がかかると言っておいた。

誕生日のサプライズに、
まさかの、僕が居る。と云うサプライズを決行。

彼の誕生日は4月28日だったが

あえて週末の人が集まれる時に
彼の彼女が気を効かせて日にちを調整した為だ。

誕生日を過ぎ、あまり祝ってもらえずに
少々落ち込んでいたらしいが
このサプライズにはjustinも驚いていたようだった。

IMG_3669

Justin Bacon 32歳 アラスカ州出身。
9年ほど前に留学して以来、
日本の事が気に入って滞在を続けている。

今では日常会話のほとんどの日本語を理解していて、
彼と口喧嘩を日本語ですると、
打ち負かされてしまう事もしばしば。

アメリカ人に日本語で口喧嘩して
打ち負かされる

これがどれほど悔しいものか。

それほど、彼は日本語を理解しているのだ。

彼は店の店長だけでなく、
様々な事に真剣に取り組み、
色々な事をとにかくやってみる努力家だ。

歌が好きな事から、自分でギターを掻き鳴らし、
自身で作詞作曲するシンガーソングライターをしている。
歌詞が日本語の物をも沢山作っている。

歌が上手いこともあって
ウエディングシンガーの仕事も受け、
時には、スナックで何故か働いている事もある。

彼のおかげで店を離れ
旅を続けることが出来ている。

語学力から分かるように、彼は相当頭がいい。
常に冷静な目を持ち、周囲の状況を的確に判断する。

彼のおかげで、お店の調子は
以前より更に調子がいい様子に見えた。

日本一周を出発する前の2年間半を僕は
3代目店長としてお店に立っていた。

外国人客が多い店なので
英語を喋り切らない自分にとっては、
とても苦悩の多い2年間だった。

このお店は、僕も初めて来た当初は一人のお客さんだった。

その当時はまだ社会人として働いていて、
後輩がアルバイトを始めたと聞き、
ここへ初めて来たのだった。

その当時は2代目の店長MarieとSpringが居た。
10498002_10152605103844254_5844374134733597141_o
彼女達は日本人とアメリカのハーフと、
日本人とカナダのハーフの美しい二人組で
日本語も英語も達者であった。

そんな事もあって二代目の時代から、
多くの外国人客が多く出入りするお店となったのだ。

カウンター9席、BOX席1つ8人掛けのみの
スナックの居抜きである狭い空間に
様々な国の外国人や日本人が入り乱れ、
今までに無かった新感覚のお店だった。

斬新な店のスタイルを気に入って
ここの常連客として通い始めたのが始まり。

このお店とは5、6年ほどの付き合いだが、
毎日、いろんな人が来て、いろんな出会いがあって、
いろんな学びが常にあった。

自身の世界を見る視野を広げてくれたのも
 この場所があったからこそだった。

彼女たちも、
フィリピン沖のスマトラ島地震が起きた時に
何かできないかとチャリティー活動を開始し、
女の子二人で自転車で日本を縦断。

チャリティーコンサートなどを全国で行い
100万円を超える募金を集め、
スマトラ島の学校を建て直したり、
地震で親を亡くした孤児達へ様々な物を贈っている。

そんな話も聞いていたからか、
女の子でも縦断できるのならば、
自転車で日本一周をしてみたいと
心の中で少し、思っていた事もある。

5年前に仕事を辞めてから、
旅人であり、物書きになると決意してから
このお店でアルバイトをさせてもらうことになった。

1年弱ほど資金を貯めさせてもらって
4年前の6月19日、
日本一周初めての挑戦に挑んだ。

わずか、1ヶ月半という速さで事故に遭い
足の骨がふくらはぎから飛び出てくる
開放骨折と云う大怪我をしてしまった。

(↓下の写真は血が苦手な方は拝見ご遠慮願います↓)
20110804-105831左足はこの日を境にピタリとも動かなくなり
リハビリの期間を2年も要した。

福島県で事故に遭い
福島で入院を余儀なくされた。

福島の病院で、車椅子から
松葉杖で動けるまでに回復すると
飛行機に乗って神戸に帰郷。

神戸に帰ってお店に再び戻ってみると、
自由奔放な2代目のMarie&Springは
お店の経営不振でも無いのに、
店を辞める決意をしていた。

自分を大きく変えてくれたこの場所はどうしても、
どうしても残しておきたくて。
この、お店を引き継がせてもらうことになった。

と、云うのが。
僕がこのお店を持つ、
きっかけとなった出来事でした。


店に復帰すると、
今までに来てくれていた常連の方々や、
新しくこの一年でお店のお客さんとなってくれた方々。
沢山の方に、お会いすることが出来た。

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この一年で経験してきたことを語り、
そしてそれらの経験を行動すべてに生かし、
この神戸での生活を今まで以上の物とした。

資金を使い果たしてしまったので、
仕事もBarだけでなく、今まで付けてきた体力を生かし
もう一つ仕事を掛け持ちする事に。

Barは夜8時〜朝5時。
又は
遅い時は朝8時まで働き、
そのまま寝ずに次の仕事へ向かって
夕方頃まで働いた。

ハードな時は、それが3日に一度。

もう一つの仕事というのは、
予約制の廃品回収業者だった。

この会社は昔から神戸で
お世話になっている不動産の社長が、
新しく始めた事業。

手が足りないからと短期の仕事を受け入れてくれた。

IMG_3609 IMG_3608電話が入ったお宅に伺い、
燃えるゴミや、燃えないゴミ、
木材、雑費、布、電化製品などに分け
下ろす順番に積んで処理施設へ持ち込む仕事だった。
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こうしてみると、
日本人は贅沢だとつくづく感じさせられた。

まだ使える物や着れる服など
惜しみなく山積みされていた。

新しいものを買ったから
まだ使えるけど捨てる。

買ったけど、やっぱり使わなかったから
新品だけど捨てる。

使えるけど、私の好みじゃないから捨てる。

邪魔だから捨てる。

そんな物が多かった。

このゴミ処理場の従業員のほとんどが
あまり日本語を理解していない
中国人か朝鮮の人ばかり。

自国で食べる物すら
私たちの手で生産を補えない国、
日本は
『自国の物さえ処理しきれない。』

日本人の恥ずかしい所を見た様な気分だった。


そんな話から一つ、
僕が最近思っていることを書いてみたいと思います。

地球の遥か上空から、
又は、
宇宙から地球を眺める事を想像してください。

地球には、多種多用、様々な生き物が生息し
素晴らしい環境に恵まれた大自然が広がっています。

その中でも特に、
知能を持ち、理性を持った人間もいます。

その、人々に焦点を当ててみましょう。

遥か上空から見れば、
人間も微生物やウイルスの様なもので
大切な資源を食い尽くしています。

いわゆる汚染ウイルスみたいなもの。

どんどん、年を重ねるごとに
地球の色鮮やかな部分を汚します。
透き通った空気を燻んだ色に、
透き通った水を濁らせ、
心地よい風を、温め居心地を悪くさせる。

住む場所はこの地球しか無いのに、だ。

その反面、
今ではその過ちに気付き
それをなんとかしようとする者も居ます。

空気を綺麗にしようとする者、
水を綺麗にする者、
緑を増やそうとする者。

ずーーーっと上の方から。
客観的にそれらを想像した時に、

その中でこの地球上での
悪玉ウイルスになりたいのか、
善玉ウイルスになりたいのか。
って事だと思ってます。

僕たちが生きている間は、
おそらく大丈夫でしょう。

でも、もっと長い目で見ると
最終的にケツを拭かなければならないのは
僕たちの子孫です。

それは確実に分かりきったこと。

嫌な物を我が子供に押し付けたい人は
いないはず。

できれば、この素晴らしい環境を
後世に繋いで行きたいものだと思っています。

今、僕はよく公園や海辺、川、
色んな所で野宿をしていますが、
ゴミが落ちていない場所は珍しいほどです。

なので目入ったゴミは、必ず集めて捨てています。

そんなちょっとした行動で、
後でそこに訪れる人がありのままのその場所を
その地球を感じてくれるだけで、
僕にとってのPeace(平和)は
また一つ、この世界に増やせたんだと思っています。


さて、話は神戸に戻り。

Barには、神戸の方々だけに留まらず、
昨年の旅で出会った方々が
わざわざ僕を訪ねて来店しに来てくれました。

石垣島の『Bar Deepsy』からは
昨年一緒に働いていたスタッフゆりちゃんが
元気な顔を見せに来てくれた。
(赤い帽子がゆりちゃん)
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北海道ニセコからは
焼き鳥屋 与作から、五味くんが!!
IMG_3599IMG_3603さらにニセコのPizza Yummy’sから
みきちゃん!!
そして、大阪からシーズン2回もニセコへ来た
ハッチ、あやか!!
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関西圏に居るニセコメンバーが
1日に『集結』なんてことも。
IMG_3598これまたニセコで出会い
わざわざ東京から会いに来てくれた
ことみとその愉快な仲間たち!
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旅で出会った方々が
こんなにも来てくれるなんて…

嬉しい限りです。

そして、その輪はさらに化学反応を起こして
広がったりもした。

全ての事に感謝。

その一言に尽きます。


神戸一ヶ月間の滞在では
毎日毎日、色んな事で動き回っていた。

始めて出会ったお客さんと
BBQでもしたいねと店で話していると、
よし、いっちょやってみますか!

ってな具合に
BBQパーティーを開催した。
IMG_3630 IMG_3632 IMG_3633 IMG_3635 IMG_3637 IMG_3644 IMG_3638 DSC_0006 DSC_0008 DSC_0013 DSC_0015 DSC_0024かなり酔っ払ってしまったために
全員の集合写真は撮れずだったけれども、
累計70人もの大人数が来てくれて
楽しいひと時を過ごせたのでした。


他には大切な友達との時間を有意義に使い
色んな友達と過ごすようにしていた。

それも、これから海外旅に行ってしまっては、
すぐには会えないことがわかっているから。

IMG_3590IMG_3727IMG_3517IMG_3557IMG_3502IMG_3499IMG_3515DSC_0103IMG_3476IMG_3478IMG_3751

今回の神戸滞在では、
1年前と今の自分との違いが目に見えるようで、
自分自身の事だが、とても嬉しい事だった。

それと共に、やっぱり変わる事なく、
揺るがないものも自分の中にちゃんと持っていた。

『この旅を続けること』

さて、資金も少し稼いだことだし
そろそろ旅立つとしようじゃないか!!


次回、日本一周後半戦スタート!!!
乞うご期待。

北海道から神戸へ。〜ヒッチハイク珍道中〜

5ヶ月間の北海道滞在を終え。
いよいよ、ニセコを旅立つ時が来た。

4月27日。

昨年夏に石垣島で出会ってからの付き合いのさとしと、
今シーズン最もニセコで仲良くなった同年代の池ちゃんに無理を言って、
嫌々、海沿いの国道まで車で送ってもらった。
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昼を大きく回った2時頃。
北海道南部、長万部町の沿岸付近の国道に降り立った。
ニセコの友達二人はヒッチハイク最初の一投目の車を捕まえるまで、
見守ってくれるらしい。

この日は昼を大幅に回ってしまった事を考えると、
時間的にも、110km先の函館まで向かってから、
フェリーに乗り込む事くらいが精々進める距離だろう。

今回もヒッチハイクにも期限がある。
『5月2日の夜まで』

この日、神戸のBarを任せているアメリカ、アラスカ州出身の店長へ、
サプライズパーティーを行う為に、どうしても間に合わせなければいけない。

そして、驚きの所持金10,000円のみ

お金を貯めるために山籠りに来たはずが、
北海道で心を許せる仲間が出来過ぎた為に毎日飲みに誘われ、
ニセコのみんなと盛大に騒いだおかげで、
たったこれだけの残金になってしまった。

あと一つ原因がある。
それは気の知れた同じ年の池田こと池ちゃん。
仕事を終えて、暇を持て余した春先に悪魔の囁きを聞いた。

「パチンコで一儲けしないか??」
なっ。何を言ってんだよ。しねーよ。

「あれあれ?よし、まさか、びびってんの??」
ビビってねーし!

「要はさ、勝てばいんだよ。勝てば。いってみる?」
くそ、、行ってやろーじゃねーか!!

ってな具合に、
お互い勝ったり負けたりする表情を見て笑い合い、
大いに遊んだ結果でもある。

こうなった時のために、もちろん後先は考えてあった

神戸に自転車を取りに戻った際、
一年間空けていたBarに少し復帰して働いてから、
ある程度の資金で再び日本一周後半戦を再出発すること。

やはり自分のお店でもあるので、
近くに寄るならば、もちろん顔は出しておきたい。
今まで頑張って店に立ってくれている仲間や
通ってくれているお客さん達にも、
顔を合わせておきたい人も沢山いる。

日本一周、残り半分を過ぎて
地元を1年離れてから思うのは、
そばに居て当たり前では無いんだと云うこと。

これから、海外の国々を一周し続ける。
世界各国一周の旅を続ければ続けるほど
時間は進み、街も変化する。

そんな中で、結婚や仕事の転勤、
様々なことで街に出入りする人も変化する。

そんな先のことまで考えられるようになってから。

その、大切な一緒に共有する事ができる時間があるのだとすれば
やっぱり僕は、心安らげる仲間のそばにいたいと思うからだ。

だから、無一文になったって
それは、それでいいと思っていた。

ペンとスケッチブックを取り出して道端に広げ、
『函館』と大きく太く、見えやすいようにと何度も重ねて書くと、
息を大きく吸って国道に立ちはだかった。

後ろを振り向けば、「本当に車なんか捕まるのか?」と言わんばかりの
顔をした二人がニヤニヤしながら見学している。

簡単に捕まるって。まぁ見ててよ。
軽い心持ちで国道に立って、
大きな荷物をアピールするように道端に置いた。

両手でスケッチブックの両側を持ち、頭の上に勢い良く上げた。

そこから見える景色には、雪はほとんど見て取れなかった。
北海道内でも5月手前の季節は海側では、気候が明らかに違う。
道幅が広い北海道の国道はヒッチハイクがしやすい。
内陸では、わざわざバス停などの停車できるほどのスペースを
確保するために徒歩で探さなければならない所も多くあるからだ。

函館方面に走る車一台一台にスケッチブックを見せ、
運転手の顔を見て、明るい顔でアピールする。

20分経ったが、なかなか止まらない。

後ろを見ると、「まだ?」と
言わんばかり暇そうにしている二人。

車に歩み寄ると、「まだなのかよ?早く捕まえろよ。」などと言って
意地悪な顔をした二人が煽ってくる。

くっそー。ぜってーに捕まえて見せる。
もう一度、気合を入れ直して再び国道に戻った。

一台一台、目を見てアピールした結果…。
10分ほどで、ようやく一台の20トントラックが止まった。

車でくつろいでいた二人も
「本当に捕まえやがった!」と驚いた様子だった。
荷物を担ぎ上げて15mほど通り過ぎたトラックに向かう。

見守ってくれていた二人も車から降りて、
トラックの助手席付近までやってきた。

二人とも冬のあいだ、本当に有難う。
この夏にも、来年もニセコには寄るから、
さとしにはまたすぐにニセコで会えるだろうけど。

本当に世話になった、最後の最後まで有難う。

サヨナラの言葉を交わし、トラックに乗り込んだ。
大きなスポーツバッグとリュックは後ろの寝台席に置くと、
自分を乗せたトラックはゆっくりと進み始めた。
IMG_3194

乗せてくれたのは北海道の鮮魚を運ぶ30才のお兄さんだった。
これから函館にはいかないけれども、近くの会社に戻るところで、
函館行きの車が通りやすい所で降ろしてもらえることになった。

お兄さんは魚がスーパーに並ぶまでの工程など教えてくれ、
スーパーに並んでいる魚が、
どれほど新鮮でないかをあれこれ教えてくれた。

60kmほど進んだ森町にたどり着き、お兄さんなりに
ヒッチハイクをしやすそうな場所へ降ろしてもらうと、
また函館と書いたスケッチブックを掲げてヒッチハイクを開始した。

降ろされた場所は、
トラックドライバーが多く立ち寄る、
広い敷地に建てられた大きなガソリンスタンドだった。

そこでヒッチハイクを開始する。

 西に傾きかけた太陽は、
あともう少しで山に隠れてしまう頃だった。

だんだんと肌寒くなる気温。

暗くなると、ヒッチハイクが難しくなる事は、
今までの経験上、解りきった事である。
夜になるまでには、何としてでも函館に着いておきたい。

30分ほど経過したが黙々とヒッチハイクを続けた。
すると、ガソリンスタンドの横にある小さな一階建ての
老人介護施設の駐車場からクラクションが聞こえ、
そちらの方へ振り向くと、運転手のお兄さんが
手招きをしているのが見えた。

荷物を担いで走り寄ると。
どこに行きたいのか質問された。

箱根に向かっていることを説明すると、
自宅が箱根で今から帰るところだから、乗せて行って上げるよ。
と、交渉が成立した。

車に乗り込み、今日の目的地箱根へ。

乗り込んで挨拶を済ませると、お兄さんは電話をし始めた。
「今、仕事場出たから、そろそろ帰るよ。」
奥さんへの電話だった。連絡を入れていないと怒られるらしい。

お兄さんは、先ほど出会ったデイサービスの介護施設を経営していて、
ちょうど家に帰るタイミングで僕を見つけ、
声をかけてくれたんだと説明してくれた。

いつもの様に、普段は日本一周を
自転車で周っている事などを説明すると、
車内での会話は弾み、その人の考えなどを聞いて沢山のことを吸収する。

これも、ヒッチハイクする上での
一番の楽しみだと言ってもいいだろう。

函館に近づくにつれて、
お兄さんは自宅の分かれ道まで送ってくれるはずだったが、
予定を変更して、フェリー乗り場まで送ってくれることになった。

すると、お兄さんはちょっと嫁に電話する。
と言って遅れる連絡を入れた。

「あの、ちょっとやっぱり遅れるね…。
ごめんごめん。ちょっとヒッチハイクの人のせててさ。
あぁすいません。すぐに帰ります、、」
などと、言っている会話が聞こえた。

窓の外を見て函館に近づく街並みを眺めながら、
女にはやっぱかなわねぇなぁ。
女が一番強い…。
なんて、思っていた。

お兄さんは電話を切ると。
「 いやぁ、やっぱり怒られたか。」そう言って
首を傾げて、苦笑いをしていた。

辺りは日が落ちて、暗闇が町の色を掻き消した頃。

フェリー乗り場に到着した。
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16才だった若き10年ほど前に
日本最北端を目指した時に使ったフェリー乗り場は、
新築の立派な3階建のフェリー乗り場に作り変えられていた。

今では函館ー青森間を1日8便。
夜の0時頃まで運行している。

まだ、青森に向かえるとなれば前進あるのみ。
20:15分発の船のチケットを買って、その時を待った。
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フェリーに乗り込み、北海道の地をゆっくりと離れ、
3時間半ほどかけて船は青森へと向かった。

船の中では乗客が少ない2等自由席を広々と使い、
寝転びながら次の目的地をスケッチブックに書き込んだり、
本を読んだりしながら過ごした。

青森に降り立つと、なるべく早く建物を抜けて道路に出た。
なぜならフェリー乗り場付近は、港ぐらいしかなく、
通行する車が極端に少ない事を知っていたからだ。

外へ出ると船から続々と車が連なり出ているのが見えた。
急いで進行方向の歩道まで渡り、
スケッチブックを掲げてヒッチハイクを始めた。

スケッチブックには「岩手」「東京」と近い県と目的の県。
その二県を書いておいた。

船から出てくるトラックや乗用車はことごとく通り過ぎて行き、
やがて最後の一台が通り過ぎると辺りは普段の静けさを取り戻した。

時刻は0時頃。
次の便の到着は、1時45分と3時40分頃。
このまま待つのも気の遠くなる時間…。

今夜中には高速道路の上に居て、サービスエリアか
パーキングエリアで停泊するのがベストと考えた。

携帯の地図を駆使して
高速道路へ向かう車が通りそうな場所まで、
歩いて向かうことにした。

たまに後ろから来る車には
念のためスケッチブックを上げて
ヒッチハイクを試みる。

フェリー乗り場からまっすぐ伸びた陸橋を越え、少し歩いていると。

先ほどヒッチハイクした車が
目の前から走ってきて、すぐそばでUターンをした。
助手席の窓が開いて、「どこ行きたいの?乗るかい?」

まさかの救世主、現る。

真っ黒なちょっと怪しいセダンに乗り込むと、
20〜30、40代?ほどの、年齢不詳の男性二人組だった。
たくやさんと、しゅうえいさんと名乗る年齢不詳の二人は
弘前市に用事があるらしく、そこへ向かっている所だった。

車内での話しの中で、夜はヒッチハイクが難しくなるから
今夜は高速道路に行きたいと説明すると、
わざわざ高速道路を通る予定でもないのに高速を通って、
お兄さん達の目的地へ向かってもらえることになった。

津軽SAに着いたのは夜の1時過ぎを回った頃だった。
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サービスエリア内にあったコンビニで
お兄さん達から好きな飲み物を餞別として買ってもらい、
それを頂くとお兄さん2人は、サービスエリアを出て行った。

夜中1時を回ったサービスエリアにはエンジンをかけたまま、
トラックの中で眠っている車が2台ほどと乗用車も3台ほど。

車が少ないし夜中なので、まずは捕まらないだろう。
だが、それすらやってみなければ知る術はない。

できる限りの所まで、今日は挑戦してみようじゃないか。
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真夜中にヒッチハイクする方法はは、
見えやすい街灯の下に立ち、
スケッチブックの文字も見えやすいように
ハンドライトなどで書いている文字を照らし出す。

このサービスエリアの難点は、
高速道路の始発点からほど近い距離にあるので、
休憩する車がほとんどいないと言うことだ。

コンビニと昼だけ営業している給油所はあるので、
明るい時間になれば、さほど問題はなさそうだった。

1時間に8台ほどしか目の前を通っていかない車に向かって、
サービスエリアの出口付近でアピールを続けたが、
いよいよ3時を回った頃に、疲れと眠気が襲ってきはじめたので断念。

その日は雨も降る心配もなさそうだったので、
芝生が生えているエリアにあったベンチで寝袋に入り、
取られては困る物を一つのカバンに詰め込んで、
それを枕にして眠ることにした。
IMG_3212

翌朝。

眼が覚めると夜中の静けさとは一変して、
朝の通勤時間でサービスエリアは活気付いていた。
時計の針は9時を回っている。

半年ぶりの野外生活にも関わらず、
よくもまぁ、これだけ熟睡できたものだ。

寝ぼけ眼で寝袋を畳んで、荷物を担ぎ上げると、
再び、サービスエリアの出口へと戻った。
IMG_3233この日はタイミングが悪く、
警察と高速道路パトロールの2回の注意を受けた。
IMG_3236警察は「気をつけて頑張ってね。」だけだったが、
案外高速道路のパトロールが
「危ないから道路に出るな」とか、「売店で片っ端から声かけろ」
だとか言って口うるさかった。

彼らがいなくなると、
安全にヒッチハイクを再開。

スケッチブックを掲げて猛アピールを開始したが、
1時間経っても2時間経っても、一向に車が停まらない。
やがて、時計は12時を回った。

なかなか車が止まらない事に焦りを覚えつつも、
懸命に通る車に向かってアピールし続けた。
IMG_3218後ろにこう書いた発想については
ニセコで、くりちゃんからある話しを聞いた事から
これを書こうと決めていたのだった。

くりちゃんは、
ニュージーランドでヒッチハイクをしている時に、
その当時は何て書いていいか分からず、
「書いてやるよ。」と言われた外人に書かせてみると、
表と裏にもメッセージを書いてくれたそうだ。

訳も分からず、その書いてもらった物を掲げていると、
通り過ぎた車が急ブレーキをして、
不機嫌そうなニュージーランド人が近寄ってきたそうだ。

その内容は反応からすると、
無礼な事が書いてあったらしい。

『ジョークより敬意を払ったピースがいいな。』

ってな具合に、その応用がコレになったのだ。

さらに1時間が過ぎた頃、
ようやく一台のトラックが停まった。
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トラックの助手席まで向かってドアを開けた。
トラックの運転席には、恰幅の良い優しい顔立ちのおじさんが居た。
「静岡までならそっち方面に行くよ。乗っていくかい?」
そう言ってすぐに迎え入れられた。

トラックに乗り込むとおじさんは「結局、どこに行きたいんだい?」と、
トラックを走らせながら聞いてきた。
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最終目的地は神戸だけれども、東京に行く宛があるので、
今は東京を目指している事を説明した。

すると…。おじさんも東京に荷物を降ろしに向かっているらしく、
「それなら東京まで乗っていくといいよ。」そう軽々と言い、
まさかの本日、一台で一番目の目的地『東京』行きが決定した。

長い時間をかけてあの場所で、
ヒッチハイクを粘った甲斐があるってもんだ。

おじさんとは話が弾んで、色んな話をした。

名前は村上一三さん。

他のトラックドライバーとは違い、他には見られない
一風、変わった感覚の持ち主のドライバーだった。

村上さんは、この仕事を「趣味で気楽にやっている」と語った。

家にいても暇だから、大好きな趣味である温泉巡りをしながら、
この長距離ドライバーの仕事をしているのだそうだ。

20代の頃に不動産に勤務しはじめ、
それから実力をつけると、独立して事業を立ち上げた。
それからと言うもの、儲けもしたし、損も沢山したのだそうだ。

もちろん、賢そうな方なので貯蓄はあるのだろう。

海外にも興味があり、
数年前までタイに美容室を持って経営をしていたが、
今では知り合いの通訳に売り渡したことなど、
色々、今まで村上さんが経験してきたお話しを聞かせてくれた。

今、一番気になっている国はベトナムで、ここ数年で向こうに
お店を出そうか考えていることなどを聞くと、
そこらへんのドライバーとは感覚が違うことがわかる。

東京へは、7時間ほどかかった。

車内ではずっと喋っている事はなく、無言の時間もある。
ちょっと目を瞑って仮眠したり、
タバコをふかして、流れる景色を眺めていた。

青森から秋田、岩手、福島、栃木、埼玉、東京と高速道路上を移動。
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トラックを降りたのは、すでに辺りは暗くなった午後8時頃だった。

北海道ニセコを出てから

僅か、30時間で東京に到着。

渋谷で友達と待ち合わせをしていたので、電車で渋谷へ向かった。
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電車に乗り込むとすぐに、斜め向かいに座っていた、
中年男性のサラリーマン二人が会話しているのが耳に入った。

「人のことを悪く言うのが好きなんだよ。東京の人達は。」と
言い合っているサラリーマン二人の会話。
いきなりの大都会、東京の洗礼を目の当たりにする。

よくよく考えても見れば、
今まで滞在していた北海道のニセコはスキーリゾート地であり、
そこへ訪れる観光客はバカンス気分でやってくる。

働きに来ている人ほとんどが
スキーヤーであったり、スノーボーダーなので、
働きても遊びに来ているようなもの。

ストレスを抱えている人は、
ニセコでは極端に少なかったのかもしれない。

そう考えているうちに、電車は渋谷へ到着。
ハチ公前に足を向けてみた。
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そこへは、4年前自転車で日本一周初挑戦の頃に立ち寄っていた。

前回、ここを立ち寄ってから2週間後に事故に遭い、
旅の断念を余儀なくされた。

悔しい思いも、辛い思いも沢山したが、
あの頃があったからこそ今こうして
再びこの地に新たな思いを持って立つ事が出来ている。
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スクランブル交差点は相変わらず、
人でごった返していて、騒々しい。
IMG_3247DSC_0027

前回、ここを訪れた時は、
靴を全部片方づつ落としてしまって
裸足でハチ公前にいたっけな。

その頃の自分の無神経さにも、自分自身ビックリだが、
周りの視線もそれ以上に突き刺さった。
ぼーっと休憩するにも出来なくて
逃げるように渋谷を後にしたんだっけか。

けれども、北海道の大地を出てわずか
1日と少しで陸続きを移動してきた今の自分にとっては、
新鮮でたまには、いいかなとも思えた。

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もちろん、住むことは性格上、出来そうもないが。。。

友達と合流して、酒を飲み明かし、
近くのホテルを用意してくれていた。

取られては困る荷物も沢山あったので、
この大都会では室内で寝ることにした。

翌朝、昨晩飲み明かした友達の出勤を見送ってから
神奈川へと足を伸ばした。

都会ではみんな用事がある人ばかりが運転していることが多く、
ヒッチハイクが困難な為に電車で移動。

神奈川には半年ほど前に
オーストラリアの旅から帰ってきた友人のなおきがいた。

もう一人、共通の友人と一緒に住んでいるらしく
友人宅にお邪魔させてもらってなおきが体験した、
オーストラリアでの珍事件を主に、
旅の話を近所を散歩しながら沢山聞かせてくれた。
IMG_3271DSC_0074DSC_0066DSC_0068DSC_0085DSC_0070この日、家系ラーメンと言われる
ご当地ラーメンを食べに連れて行ってもらった。
IMG_3273IMG_3274こってりした濃厚なスープが
太めの麺によく絡んだ美味しい一品でした。
ごちそうさまでしたっ。

なおき達の家には2日間停泊させてもらった。
ジャンベ(アフリカの太鼓)が好きな彼と、
太鼓を持って湘南の海辺で多くのサーファー達を眺めながら、
太鼓のセッションを行った。
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彼との演奏をビデオに録画していたものを最近確認してみると、
当時ではわからなかった、面白い映像を目にした。

外国人の子供が、セッションしている後ろで踊っていたのだ。
なんとも、まぁ陽気で面白く、微笑ましい光景だったもので、
その瞬間を抜粋した動画を用意しました。

↓こちらからご覧ください↓

そして、二日滞在したのち。
再び神戸を目指す朝。

4月30日。

世間はゴールデンウィーク間近、大連休を迎える直前だ。
5月2日の土曜日か、その前日には、
高速道路は大渋滞になってしまう。

ということは、
今日中にはどうしても、
関西圏へ入っておかなければならない。

そんな事を、朝のリビングで話していると、
「レンタカー借りて送ってあげようよ」
なおきが突然、もう一人の友達ダイキに提案し始めた。

ダイキも賛成し、レンタカーで行けるところまで
送り届けてもらえることになった。

結局、それからレンタカーを借りて高速に乗り、
途中に立ち寄った富士川サービスエリアでヒッチハイクを試みた。
IMG_3292IMG_3296IMG_3294IMG_3293結局30分ほど粘ってみたが捕まらず…。
捕まるかどうか見守ってくれていた二人が暇を持て余し、
やはり、日が暮れる頃まで走ってくれる事になって、
車に乗り込んだ。

静岡県の果てまで行った浜松までが
送迎できる限界の地点と判断。

浜松から夜ヒッチハイクを開始したところで、
神戸に帰れなくなる可能性が高かった事から、
ダイキが気を利かせてくれた。

「在来線を乗り継いで帰れる電車の
一番安い電車賃ぐらいなら、カンパするよ。」

いつもの様に高速道路上でヒッチハイクしていると、
もしゴールデンウィークまでに到着しなかった場合、
高速道路から降りられなくなることも十分に考えられる。

今回はここからは電車で帰ることにした。

JR浜松駅から在来線を4回ほど乗り継いで、
神戸まで5時間20分もの時間を要した。

北海道から神戸まで1日だけ湘南で停泊したものの
4日半ほどの期間で到着。

全てヒッチハイクで帰れなかったのが残念でならないが、
国内ならば手軽に日本は移動できる大きさなんだと、
思い知った4日間の移動でした。